JEPC全国を結ぶ智のネットワーク・日本イベントプロデュース協会
                   
REPORT:JEPC20周年記念懇談会

JEPC設立20年を振り返って
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 JEPC設立20周年を迎えるに当たり、設立当初より、JEPCの活動にご尽力いただいた皆さまにお集まりいただき、JEPCの変遷とこれからのイベントについて、懇談の模様を紹介したい。
  
■出席者
舩山龍二顧問 JEPC顧問
元JEPC副理事長
株式会社ジェイティビー 
代表取締役会長
舩 山 龍 二
北村明久顧問 JEPC顧問
元JEPC副理事長
元株式会社電通局長
北 村 明 久
秋山弘志顧問 JEPC顧問
元JEPC副理事長
元株式会社東京ドーム
専務取締役
秋 山 弘 志
平野繁臣会長 JEPC会長
株式会社現代芸術研究所
会長  
平 野 繁 臣
清水卓治理事長 JEPC理事長
株式会社シミズオクト
代表取締役会長  
清 水 卓 治
小坂善治郎副理事長 JEPC副理事長
関東本部本部長
流通科学大学教授  
小 坂 善 治 郎
石山盛也事務総長 JEPC副理事長
全国本部事務総長
株式会社リベルタス・コンサルティング代表取締役
石 山 盛 也
懇談会
   平成18年9月12日(火)
   14:30~16:30
会 場
   東京ドームホテル5階会議室
    
♣石山事務総長あいさつ
  お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございました。本年、11月17日JEPC設立20周年を迎えることになり、記念誌の編纂などJEPC設立記念事業石山盛也事務総長が進行しているところです。そのような中で、設立時より各種事業活動に大変ご尽力をいただきました皆さまにお集まりいただき、設立当時のお話、また、これからのイベントはどう変わっていくのかをお話しいただき、20周年記念誌の巻頭を飾らせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
  それでは開会の挨拶を清水理事長にお願いします。

♣清水理事長あいさつ清水卓治理事長
  本日は皆さまお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。協会も20年という長い年月を経て参りました。昨年から私が理事長をお受けしました。その間世の中は激しい浮き沈みがありましたが、会員は協会活動に非常に熱心に参加するという大変根強いものがあると痛感しました。このことが、協会が20年やってきた要因ではないかと思います。本日はご尽力いただいた皆さまのお話を伺い、今後の活動に向けて新たな協会のスタートにしたいと思います。よろしくお願いいたします。

♣石山事務総長
  それでは、本日の司会進行を小坂副理事長にお願いします。

♣小坂副理事長司会進行
  JEPC設立20周年記念事業の実施組織は、実行委員長が清水理事長、私が副実行委員長です。実施にはワーキング委員会を形成し委員長を務めさせていただております。その関係で司会を務めさせていただきます。ワーキング委員会は、各地域本部から代表幹事が選出され、委員会に出席いただいております。小坂善治郎副理事長
  記念事業について大まかに説明させていただきますと、ひとつはJEPC設立20周年記念誌の発行があります。もう一つはあらゆる人を対象とした「イベント企画提案」を公募しております。公募の中から選考委員会において入選作を選定し、11月17日の設立記念行事の中で、入選作のプレゼンテーションをしていただき、会場の皆さまの投票および審査委員会により賞を決定していただき、表彰をするという構成にしています。
  それでは早速懇談会に入らせていただきます。この懇談会の要旨は、第一はイベントとJEPCの活動について、第二はこれからのイベントについて、皆さまのお話を伺いたいと思います。
  皆さまには、さまざまな機会や紹介を得て我々がお誘いに上がったわけですが、まず、JEPCに参加いただいたきっかけについてお話をうかがわせていただきたいと思います。最初は平野会長からお願いいたします。

JEPC参加へのきっかけ
(敬称略)
平野: JEPCのことというと考えれば沢山のことがありますが、先ず設立当初のことは鮮烈に印象に残っています。というのは、まだ日本イベントプロデューサー協議会を設立しようとしているときですが、ある方が私のところに来て、入会して欲しいと懇談会風景1いうことでしたが、私は即座に断りました。というのは、こういうものをつくるときには、自分たちの仲間内で徒党を組んで、他の人たちを閉め出して自分たちだけメリットを享受しうまいことをしようとするような動きが多くなるように感じられる、私はそういうところには入れないということで即座に断ったことが今でも鮮明に残っています。
  しかし、実際に活動を見ているとそのようなこともなく、オープンで開かれた組織にしようという動きになってきたのが入会のきっかけとなりました。当時イベントに対する社会の見方にも「うさんくさい」イメージがあり、私自身もそういうイメージで見ていました。それがある意味で大きく変わってきました。イベントという言葉が社会に定着し、そのようなイメージを大きく変える役割をJEPCが果たしてきたと私は思っています。

北村: 私は当時広告代理店にいましたから、通常行政のイベントなり民間のイベントを実施する場合、私たちはどちらかというとプロデューサー的立場で仕事をすることが多く、企画提案し、作業を受注した後は管理する立場であったわけです。
  そんな訳でJEPCの会員の皆さまの力を借り作業を完結していくという立場にありました。私の会社の場合、北村明久顧問作業実施に当たっての協力業者のネットワークが出来ていましたから、協会員の力、特に個人の力を借りなくても作業を完結できる状況でした。ですから、協会設立時は、私たちの会社にとってどういうメリットがあるかという議論になりました。
  ただ、私は個人的には、我々の仕事がうまくいくためには、末端のいろいろな人の力を借りなければならないことを身をもって知っていましたので、協会の活動を通じてイベントに従事する人たちのレベルアップが出来るのであればメリットがあることであり、そのための研究なり、あるいは協力関係なりをつくっていかなければならないという思いがあり参加した訳です。

秋山: JEPC設立当時、ちょうど東京ドーム建設の計画が始まっていました。当時の保坂社長が、野球以外で東京ドームを一杯にしろと仰せつかっていたものですから、協会に参加していろいろ勉強をさせていただき、ドームの役に立てようというのが参加したきっかけです。
  実際、我々のところはイベントというより、マイケルジャクソンとか、マドンナといったプロモーターの仕事であり、いろいろ問題が多い世界でもあります。我々の業界はイベントというより興行の世界に入るわけですが、こういう世界から脱却して組織的にできるようにしたいという思いがありました。
  実際JEPCはいろいろなイベントを体験した人たちが集まってイベントを体系づけていったということが大きいと思います。イベントを実践された人たちがイベントを体系づけていったということに大きな意義があったと思います。

小坂: 当時旅行業は積極的にイベントを研究して実施するようになっていました。旅行業の最大手であるJTBには、どうしてもJEPCに参加していただきたく舩山さんのところにお伺いしました。

舩山: 当時、私は本社団体営業部のイベント・コンベンション担当部長をやっておりました。遡ると私は1962年の入社ですが、その年は大量採用で、その背景には二年後の1964年の東京オリンピック開催と海外旅行の自由化がありました。その後1970年の大阪万博、引き続いていろいろな国際コンベンションが開催されました。日本がそうであったように、どの国もオリンピック―万博―イベント・コンベンションの流れは、国際化社会に入るきっかけとなっておりますね。舩山龍二顧問
  また、イベントの意味が後になってわかってきたのですが、旅行業とイベントとの関係は意外と古い。トーマスクックという旅行社は1841年誕生ですが、直後の1851年に第一回の博覧会がロンドンで開催され、そのときツアーを組んだのが団体旅行のはしりですね。以降ロンドン、パリと繰り返していましたがパッケージツアーが定着していきました。このように、旅行業とイベントは関わりがあり、我々日本の業界も、東京オリンピック、大阪万博、その後の各地イベントを梃子にして大きく発展してきました。
  そういう意味で大きなイベントは歓迎でしたが、しばらく空白期間が生じた期間もありました。
その様な時期に当時の社長が、イベントがなければ我々自らイベントをつくろうということになりました。そこに旅行業としての別のフィールドがあったのですね。遠く振り返れば「東北三大祭り」があります。これは、当時の国鉄と我々が組んでチャーター列車による三大祭り見物という企画ですが、それぞれの祭りを列車にあわせ開催日程をずらし現在につながっております。考えてみればこういうことは昔からあったわけで、我が社営業の重要な柱の一つに据えるという意味でイベントの価値を見直すことになりました。この機に改めてイベントを勉強しようというのがJEPCに参加するきっかけとなりました。イベントというのはいろいろな人との関わりの中で協力関係が生まれていくということを含め、いろいろ勉強させていただき、非常に感謝しています。

小坂: JEPC構想が生まれてきた時、コンサート、スポーツ、展示等の研究を熱心にしている清水理事長のところに最初に相談に伺いました。二人で熱く語り合ったことを思い出しています。そして、イベントの諸技術などの向上のためにも大切なことだから頑張りましょうといわれ、とても心強く、昨日のように思い出されます。

清水: 我々はイベントという言葉は少し前から使っていましたね。それはどういうことかというと、最初に使ったのは、歌手の西城秀樹のいる芸映というプロダクションですね。今までは劇場やホールを使って年間地方を回って歩くことが主流でしたが、夏休みなどに後楽園スタジアムや大阪スタジアムを借りて大々的に公演を行うわけですが、懇談会風景2このホール巡回型とは別にスタジアムや野外を使った大々的な公演関係を我々はイベントと称していました。
  普段の劇場やホールの仕事から飛び出して後楽園スタヂアムや大阪スタジアムあるいは箱根の野原という非日常的な世界というものは、皆さま張り切って普段よりテンションが上がるんですね。そんなことからこれからイベントは社会的にも伸びるのではないかなというような心境のときに、JEPCからのお誘いがあり参加した次第です。

イベントの質の向上を目指して

小坂: それでは、JEPCの活動の意義は、今となって考えますと、どんなところにあったのでしょうか?

北村: 世間によくある協会というのは、ある種親睦会的な要素が強い業界団体で、義理で参加するというような性格の集まりであることが多いのではないかと思いますが、JEPCの最大の特徴は企業ではなく、専門家個人の集まりであったということが、この20年間を支えてきた要因ではないだろうかと思います。

平野:  たしかに、私が最初拒否しながら、参加した最大の理由は、イベントに対する社会の認識やイメージを変えたいという思いからでした。私は大阪万博に参加していましたが、ナショナルイベントのような大きなイベントに参加したのは初めてでした。大阪万博終了後、子どもたちからお父さんは何をしているかとの質問に、明解な答えが出せなかった。普通は○○株式会社に勤めているというだけで済むわけですが、「イベントの仕事をしています」では子どもたちに通じない。今でこそ博覧会は定着していますが、当時は神社の境内でやっている見世物のようなものも博覧会と称するものが沢山あった。それらのいかがわしい仕事とは一線を画したい。何とかイベント分野で働く人たちの社会的なステータスを確立させたいと痛切に思いました。
  そこで、書店に行ったところ、イベントというタイトルがついた本はただの一冊しかなかった。確か遠藤氏の本だったと思う。それでイベントというのは社会でまったく認知されていない。逆にいかがわしい目で見られる分野であると思ったものですからイベントを何とかしたい。それには基本的な問題が2つある。
  ひとつは、今までイベントは経験がものをいう世界であって、トライ&エラーで、経験で身につけることであるから論理的に説明できない。ある有名なプロデューサーは、イベントは経験で見つけるものだという。それではダメだと思いました。そこで、イベントはもっと論理的に体系づけて、体系的な知識を身につけたうえで経験を積み上げていくということを主張し、イベントの教育研修システムの確立をめざしていままでやってきたわけです。まだまだ道は遠いけれども、かなり社会的に認知されてきたと思う。これもJEPCによる功績と思う。JEPCは産業団体ではなく、職能団体である。ある種の専門技術を身につけた人が集まって、自分の技術を職能的に向上させていく協会だと思っています。

JEPCができて良かったこと

小坂: 私にはいきなりJEPCができてよかったということがあります。ある記者クラブから電話があり、昭和天皇が崩御され平成になるときでした。かつて大正天皇が崩御されたときはほぼ1年間歌舞音曲を一切禁止されたことです。そのため世の中が非常に不景気になり一説には、太平洋戦争の要因になったのではという学者がいるほどでした。そういうことが起きてはいけないということで、是非コメントをいただきたいとの電話でした。それが明日には発表しなければならないということで、すぐお伺いしたい。ついてはJEPCはどういう団体かについて尋ねられ、団体の説明をしたところ非常に感心され、すぐ取材にきて、翌日のテレビに日本イベントプロデュース協会の名で放送されていました。振り返ってみると平野会長をはじめとしたポリシーのある団体でよかったと、今も思っています。

平野: 最初は皆、わかっているような、わかっていないような状態で集まっていましたが、少しずつ方向が見え始めたのは、そのときそのときの話題を捉えて毎年フォーラムが開催されたことですね。今振り返ってみるとかなり多彩なテーマを取り上げていましたね。
  例えば東京ドームができ、その他のドームが引き続きできたとき、これがイベントとどう関わってくるのか、それを我々はどう利用していくのか、というようなことを考え、それをテーマにしてフォーラムをする、その時々で話題になっている事柄で、イベントの世界に関わり深そうなものを選んでテーマにして毎年続けていましたね。これが長く続けることで、JEPCの質の向上が図れたと思っています。

よい供給が需要を産む

舩山: 東京ドームのような新しい話題性のある施設ができて、新たなさまざまなイベントが生まれたという現実を注目する必要があります。つまり、新しい供給が新たな需要を生むことに意味があると思う。海外旅行の発展を見ていると、新しい路線・新しい航空機、観光地における話題性のあるホテルやテーマパークの誕生が新たな客を呼ぶという現象が顕著でした。
  国内でも同様ですが、このような施設(供給)が需要を呼ぶという状態がバブル崩壊までの長い間続いていましたね。その施設のコンテンツをつくった主人公がイベント業界の皆さまということになります。供給が需要を呼ぶという大変エポックメーキングな時代であったわけですね。

平野: それがまた地域社会へも大きな影響を与えましたね。例えば西ベルリンが東西分裂して観光客が激減したとき、ICCベルリンというコンベンション施設をつくった。それが起爆剤となって地域に大勢の人が訪れるようになり、地域が一気に活性化していく。このようにイベントと施設との関係は非常に大きいですね。

小坂: 清水理事長のところでは、イベント技術の向上を図り、平成元年ですか、千葉スタジオをつくりましたね。

清水: 施設が需要を産むということでは、東京ドームができて、それから名古屋、大阪、福岡、札幌とドームが全国にできたわけです。各所とも地元経済振興の役割を担っていましたが、実際にドームができあがってからの歩みを見ると、最初の東京ドームは興行部ができて、興行で呼んだものを、そのうちの何カ所かで興行に使うという使い方でしたが、そういうものが刺激になって、日本人アーティストのジャパンツアーが盛んに行われるようになってきた。スマップやミスターチルドレンなどといったアーティストがドームツアーで莫大な興行収入を上げ、興行関係者が大変潤った。今までは東京は東京の業者、大阪は大阪の業者と地域的に別れていましたが、日本中回るというジャパンツアーは、ドームが5つあれば5倍の収入というように、仕事の内容が変わってきたため、それに対応していく必要がありました。そのため、千葉県にお願いしてスタジオをつくったのですが、これは、最初は冒険ではないかと見られていたのですが、平成2年に完成し、15年になりますが、最近は今の時代に適応した稼働状況になっています。

小坂: 舩山さん、供給が需要を産むということですが、JTBもイベントをつくるという方針のようでしたが、そのような状況でJEPCに参加していただいたわけですが、JEPCでの影響はいかがでした。

舩山: 当社の方でも小さなイベント会社をつくろうかなというときでしたので、JEPCに参加し、皆さまのご協力をいただいて、我々に電通さんには及びませんが、似たようなことをしなければということで始めたわけです。
  除々に業容は拡大し今は一人前になったと思っています。考えてみますと、イベントは事業おこしですね。需要おこしですね。ですから日本の経済の活性化にも大きく貢献しているのではないかと思います。

清水: コンベンションが旅行業界には密接な関連があるのではないですか。

舩山: そうですね。イベントとコンベンションですからEC推進本部をつくりました。イベントの中のコンベンション、コンベンションの中のイベント、両方が折り重なっているわけですね。当時、各地方自治体がコンベンション開催の意義や経済効果について関心を示し、熱心に勉強会やセミナーを行いました。我々も国土交通省と協力して、実践の立場から、ビューロー運営、会議誘致や動員のセミナーも行いました。今はそれぞれコンベンションビューローをつくり独立運営しておりますが、既に50都市ぐらいあるのではないですかね。

北村: 行政主導のコンベンションセンターというハードによってコンベンションが発展してきましたが、ハードが無くてもイベントによって地域を活性化していくという雰囲気が、ここ15年、20年で出来てきたと思います。ハードの時代からソフトの時代へ移ってきたという行政の考え方の変化が平野会長をリーダーとした火付け役ではなかったでしょうか。時代をそういうように変えてきたと思います。

平野: コンベンションというものに対して日本の社会は誤解して平野繁臣会長いたと思う。コンベンションという言葉が初めて入ってきたのは、国際観光振興会が、外国人観光客を呼んで外貨を稼ごうという国の政策に呼応して、国際会議を開いて外国人を日本に呼ぼうという動きが始まって、国際観光振興会の中にコンベンションビューローというのが初めてできた。このときコンベンションという言葉は初めてで、みんな錯覚してコンベンション=国際会議であるという常識が普及してしまった。運輸省型の国際観光がコンベンションとして定着するまで放置していたのは通産省だが、コンベンションとはそういうものではない。アメリカで行われてきたトレードショーと西ヨーロッパのメッセ等が全て融合したものが現在のコンベンションであろうと思います。
  もともとコンベンションとはアメリカでは在郷軍人の総会などの集会をさしてまいりましたが、次第に商品見本市や展示も共に行うようになってきてトレードショーに変化していきます。西ヨーロッパのメッセは商品を展示する見本市だったが、やがてそれだけではなく、人が集まり会議もするようになってきた。いまや西ヨーロッパ型メッセとアメリカ型コンベンションは完全に融合してひとつになっている。そういう時代だからこそ、人が集まり、ものの展示があり、それらが総合的に構成されるという、まさにイベントの神髄がそこにあると思う。それの変形が現在の見本市・トレードショーであり、地方博覧会である。このように進化していくと地方の活性化に非常に役に立つということだろうと思います。

小坂: 秋山さん、ちょうどJEPCをつくる頃、レジャーとかアミューズメントとかテーマパークとか、今のコンベンション、見本市展示会というような言葉がありました。東京ドームができた時、全てが兼ね備わった施設ができ、私たちも一つの大きなエポックになったのですが。

秋山: 秋山弘志顧問そうですね、そういう意味ではイベントという漠然としたものを具現化したことはJEPCの力ですね。プログラムをつくるに当たって、エンターテイメント、プロスポーツ、そしてコンベンションという三つの柱をつくりました。東京ドームはこの三つを中心にしてやっていくんだということでスタートしましたが、それまではサーカスだとかいろいろなことをやっていましたが、三つの柱のように体系化して進めていくというのはやはりJEPCの大きな力ではないかと思います。たしかに昔からのイベントという世界はとんでもない世界でしたが、その、どうしようもないイベントの世界を組織化、理論武装したことはJEPCの功績だと思います。
 
平野: そうですね、大阪万博のときですら、いかがわしい人たちが集まってきましたね。それらを排除するために、我々も行政も大変な労力を要したものです。JEPCの設立にもこの辺を随分注意したものです。

産業団体の創設・JACE設立

小坂: JEPCができて質やポリシーを守って進んできたときに、通産省より産業団体の設立の話しになりましたが。

平野: それにはいろいろありまして、JEPCがそのまま移行するという話しもありましたが、これは意義が違うということです。というのは、我々JEPCは職能団体であり、通産省が考えている新たな団体はイベント産業であり、大手の業界の企業が集まって産業団体をつくるべきであると主張してJACEができたわけです。JEPC創立の目的は職能団体をつくることであったが、それが曖昧なままで、産業も職能も全部含んでいるような錯覚にとらわれているので、通産省が産業政策として取り上げるなら産業団体としての協会をつくるべきであるという主張をした訳です。

小坂: JEPCの法人化の話しも随分ありましたが、JEPCを法人化するより、さまざまな広範の活動体で進んだ方がよいのではないかとの考えだったのです。JEPCのメンバーは、さまざまな方面との数多くの関連で仕事をしているので、任意団体のままでいった方がよいという結論に達したわけです。

北村: 私の個人的な考えは、JEPCとJACE(社団法人日本イベント産業振興協会)は、一本化してすっきりした形でいくべきだというものでした。しかし、メンバーの多くの方が特定官庁との繋がりが無い方がという考えでしたので、そういった人たちの意見は尊重すべきだと思いましたね。

平野: 一本化してしまうと、個人や個人営業の人たちが全て切り捨てられてしまう。かといって年会費も高いし、入会金も高いから入れない人たちが沢山でる。こういう人たちを切り捨てるのかというのが非常に疑問に思ったわけです。

小坂: JACEの設立のための準備資料として、業界分析作業などは莫大なものでした。ほとんどJEPCが準備したように思えます。暑い日々、多くのメンバーで何日も作業をした思い出があります。

平野: そうですね。設立に関わる作業は全てJEPCで準備し、通産省へ渡した。JEPCはJACEの生みの親ですね。

イベント業務管理者資格制度の創設

北村: イベント業務管理者の資格試験についてもそうですよね。テキストの作成から面接試験まで、JEPCが相当協力しました。裏方は全てJEPCのメンバーがやっていましたよね。

小坂: 結局イベント業務管理者の資格制度を作って、質を守ろうということだったけれど、基本的に試験制度から平野会長を中心としたJEPCメンバーが関わってほとんどつくってきたような気がします。相当の労力を費やしました。今となれば思い出です。

北村: ああいう制度ができたことによって、イベント関係者がはじめて勉強して資格を得る方向へ進んだわけですね。先程話しに出ましたが、それまでは、イベント担当者は、現場で学べばいいということでしたが、少なくとも体系的に勉強しなければならないという風潮が生まれてきたということは非常にいい傾向ですね。

小坂: JEPCの活動のスタートは、舩山さんが事業推進部門で、北村さんが調査研究部門、秋山さんが運営部門を担当していただいて、イベントカレッジなどを開催しました。これが大きな反響を呼びました。このイベントカレッジが基になってイベント業務管理者資格制度ができたのですね。そして資格制度ができて、資格者の協会が設立されて、最終的に会長を秋山さんが担当することとなりました。

秋山: 平野会長からもやれといわれて引き受けたわけですけれど、問題は資格制度におけるインセンティブがないんですね。資格を取ったからどうなのかといったことが何もない。そこが一番問題ですよね。それで何かつけるべきだと。

北村: 当時ね、すごい誤解があったと思うんですよ。あの資格を取らないと行政の仕事にタッチできないという、特に地方では誤解があったと思います。我々のところも支社からそんな問い合わせが随分ありましたね。

秋山: 我々も受験者を集めるためには、何かインセンティブをつけるべきだと主張したのですが、これは独禁法に引っかかるというんですね。そういうことをしてはまずいというのが最終的な結論でしたね。

平野: 基本的にはああいう制度を作ることは反対だったんですよ。しかし、当時通産省の話では、JACEの財政基盤を確立するための事業で、JACEの安定化を図るという意味があったわけです。

小坂: いずれにしてもJEPCの役割は、資格制度をはじめ、随分裏方でJACEのための作業をしました。これは結局JEPCの質を高めることにつながったわけですね。

北村: そうですね、資格制度のおかげで、現場の担当者もイベントについて随分勉強したという評価はありましたね。

JEPCの進路模索

清水: 複数の団体が併存するようになって、JEPCはこれでなくなるのかと、歴史的に一段落したのかなという思いはあり、当協会のピンチで、JACEと一緒になるという風潮もありましたが、いざそういう局面になってみると、何か違った雰囲気が会員の中から出てきましたね。その辺はどうですかね。懇談会風景3

小坂: いろいろあるのですが、JEPCが貢献した中で、バブルがはじけて景気が悪くなっとき、JEPCだからできたことがあるのではないかと、特に清水理事長の強い提言もありました。21世紀というキーワードで「ラストディケード」をテーマに、21世紀を迎えるに当たって、21世紀はイベントの時代ということで5カ年間にわたり徹底的に仕掛けた訳です。JEPCという団体だからできたことだと思いますね。

平野: JEPCができて3年目に、JACEができたことだし、JEPCの使命は終わったのではないか。ここで解散するかという意見が会員の一部から出てきたことは事実です。そこでJACEと相談して、JEPCが解散して一緒になる場合の受け入れ態勢を作れるか、そのためには会則の変更、入会金や会費の変更などがあるがどうかという話しになりましたが、それはなかなか難しいというのがJACE側の考えでしたね。そこで、JEPCが団体会員として入会し、JEPCの会員を活かす方向に進んだわけです。

小坂: 結局JEPCは独立した組織で進むということで、結果的にはよかったですよね。それでJEPC自体が平成14年に各地域本部の主体性に基づく独立事業体に組織改革をしています。全体を統括する全国本部、地域毎に関東本部、関西本部、中部本部、九州本部が独立体とし、北海道支部は関東本部に属するという体制で、現在に至っています。

これからのイベント

小坂: それでは次に、これからのイベントの方向性、将来展望などを、それぞれの立場からお話しいただきたいと思います。

平野: 21世紀に入る頃からイベントの概念が大きく変わりつつあります。いままでイベントは定型的なパターンができあがってきた。JEPCのせいでもありますが、イベントがある程度パターン化してきた。つまりセグメントされた既成の概念ができあがってきたということです。しかし、世の中は大きく動いていますから、これらの概念でくくれないイベントが沢山出てきている。これは行政でもなければ企業でもない、産業でもないというようなイベントが沢山出現している。例えばコミュニティのイベントがあります。これはNPOを中心として自分たちの活動を深化し、普及していくためのイベントが考えられる。介護や福祉をテーマにしたイベントをNPOが立ち上げるといったもので、このようなイベントが沢山出てくる。そういうイベントは種類も違う、内容を構成するテーマも違ってくる、同じイベントでも開き方が違ってくる。例えば地方博をひとつ取ってみても、今までの博覧会はフェンスで囲い込んで、その中にお客を入れて入場料を取って見せるというのが博覧会のパターンであった。
懇談会風景4  しかし、そういう形ではなくて、ある行政体が、自分の行政エリア全体に展開して、そこでさまざまなイベントを展開する。会場が広域になり分散し、会期もシリーズで連続していくというのが出てくる。最初に出てきたのが和歌山県の南紀熊野体験博覧会で、紀伊全域を会場として博覧会を展開した。問題はいろいろありますが試みとしては大変面白い。こういうのがどんどん出てくる。今はITが盛んになってきている、広域のネットワークができると、それをどうやって取り込んで活用するかということが出てくる。その他いろいろありますが、要はイベントが変わってきている。それに対して、我々イベントの世界で仕事をする職能人として、これから何を考えなければいけないのか、どういう点が問題なのか、ということをしっかりと気をつけなければいけない時代かなと感じる。そういう意味で、JEPCも大いに社会に提案し、情報を提供していかなければならないと思っている。

北村: イベントの効果は数値化が難しい世界ですよね。結果について極めて定性的であって定量化が難しい世界であるが、そういう中にあって実施に当たってはなにがしかの資金が必要となる。資金を出したスポンサーにどう満足してもらうか、結果についての満足度がどの程度であったかということを常に気にしながらやっていかなければならない。それをどう納得していただける形で出せるかということを、イベントに携わる人は絶えず考えていかなければならない。イベントの効果というのはいろいろな形で数値化されようとしていますが、まだまだ試行錯誤の段階であって、イベントの効果をどう評価するかはこれからだと思う。それとITの時代になって、人と人との出会いが無くなってきている。このような時代にイベントの果たす役割はますます重要な位置づけになってくる。イベントの未来は無限にあると思いますから、それに携わる我々としては、みんなに満足してもらえる結果をどのように出せるかということを絶えず考えながら作業をしていかなければならないと思います。

舩山:まったく同感ですね、今学生などはインターネットで相互のコミュニケーションを図っているが、これは、いつも会っている人がやっている。やればやるほど会いたくなるのですかね。 
  世界中のコミュニケーションはボーダレスで自由自在図れるが、人間はやればやるほど直接会いたくなるものです。これが政治で言えばサミットであり、経済、文化、スポーツ、教育などあらゆる分野で直接会うという気運は高まっているのではないですかね。世界の交流人口は現在7億人といわれています。2010年には10億人、2020年には16億人と推計されております。このような国際交流の潮流に日本は取り残されないようにしなければなりません。昨年の日本に来ている外国人は670万人、これを2010年に1千万人にしようというのがビジットジャパンキャンペーンですね。フランス8千500万人、アメリカで5千万人です。日本は国際交流の世界では後進国なんですね。
  これからは『メイドインジャパン』から『ビジットジャパン』と言う人もありますが、日本は今までメイドインジャパンということでモノづくりばかりに力を入れてきた。しかし、モノづくりだけではダメだということがはっきりしてきた。経済だけでは一流国と見なされないし尊敬もされない。世界からより親しまれるためには、日本の歴史、文化、日本人の考え方など情報を発信し、時にはアピールし、また実際来てもらうことが一番です。このような意味でイベントに携わる人の役割はますます多様になってくるわけですね。また、我が国の少子高齢化で地方はだんだん疲弊してきているが、今はあまり決定的な解答がない。その方策の一つに交流人口を増やしていく考えがあります。地域独自が生き抜くためのサバイバルとしてどうやって「人を呼んで栄える」政策を実現するかが課題です。そのためには実は人材こそが焦眉の課題なのです。今は各地に「観光カリスマ認定制度」がありますが、それは各県1~2人に過ぎず、今後ますます地域のプロデューサー、エンタテーナーなどが求められております。この観光カリスマにこそ我々イベント関係者が関与していくべきであると思います。また地域がそれを求めています。

秋山: 参加してみんなでイベントをつくる時代になっていかなければ成功しない。これらをコーディネートするのが我々の役目であろうと思う。勝手につくって終わってしまうという時代ではなくなるでしょう。後楽園遊園地は今から4年前、囲いを取り払ってしまった。これはその発想です。今は囲いをつくって装置で稼ぐ時代ではなくなっている。それと来てくださる方に選択する機会を与えてあげるというようにしないといけない。囲いをつくって入場料を得る代わりに、隣にビルをつくって、買い物や食事をできるスペースを提供し、そこでお金を使っていただく。お陰で今はうまくいっていますよ。つまり、来た人が自分で選択できる、参加できるようなイベントをコーディネートする。これがこれからの我々の使命ではないだろうかと思います。

清水: 先程から皆さんお話しのように、相手が進歩し、テレビが進歩する時代ですけれども、やはり、どこかへ集まるということはこれから非常に盛んになってくると思いますね。そのため、イベントの大要というのは、どの部分もすたれることはないと思います。そういう中で、より好きなもの、例えば文化芸術だけではなく、食べるもの、自然食を求めるというようなものが、そういう趣味を持つ人たちが寄り集まりたくなってくるようなイベントが深化してくるのではないかと思います。懇談会出席者集合写真

石山: 長い時間ありがとうございました。設立20周年を迎えるに当たり、皆さまにお集まりいただき、この20年を振り返っていただくとともに、これからのイベントあり方についてお話をいただきました。誠にありがとうございました。
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